29 Jul 2017
杯を持つお地蔵様、信州にて。
ユーモラスなお地蔵さまでした。(笑)
信州のイメージは良いですね。
(私感の範囲ですが、)
住みつきたくなる雰囲気は随所に感じます。
この程は
長年、一度行ってみたかった・・・・・・・、
「無言館」本館、「第二展示館」、「信濃デッサン館」、「槐多庵」、に行き、
一通り、観て回ってきました。
「無言館」は、
先の戦争で、美術への志しを若くして散らした戦没画学生たちの、
遺族の方々の元に残された絵や遺品を展示する、
鎮魂の意味もある、小さな私設美術館です。
画家・野見山暁治氏と、
信濃デッサン館館長の窪島誠一郎氏の熱意と努力により、
全国から遺作が収集され、その展示館として1997年に完成しました。
装飾を極力省いたグレーのコンクリートの建物は、まるで僧院のようで、
信濃の森に溶け込み静かに佇んでいます。
この日は小雨でした。
無言館、駐車場付近
小型バスの乗り入れもあるようで、駐車場は予想以上に完備されていました。
前庭に設置されている、
戦没画学生の慰霊碑「記憶のパレット」↓
判明した戦没画学生の名前が、
作品収蔵の有無にかかわらず刻まれているそうです。
2005年に、この慰霊碑に赤ペンキをかけられるという痛ましい事件がありました。
そのことを記録に留めるために、第2展示館の前庭にモニュメントが設置されています。
「傷ついた画布のドーム」 第二展示館
(写真画面右のグレーのポストは、平和への祈りや願いをポストに投函し、
保存するという意味だそうです。)
小雨の中で第二展示館
無言館・第二展示館は
無言館の別館として建てられています。
傷ついた画布のドームは、こちらの前庭に設置されていました。
第二展示館には、オリーヴの読書館と名付けられた小さな図書室があり、
併設して小さなレストランがあり、そこでランチをいただきました。
緑と木のぬくもりに囲まれた別荘の雰囲気で、素敵なひと時でした。
ところで、オヤオヤ、何ということでしょう!
謙虚感があって地味で、それがかえって厳かに見える館の雰囲気に心打たれたのか、
無言館(本館)の方の建物の写真をすっかり撮り忘れました。;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
なので、その代わりに、下は
無言館の完成時に月刊誌「芸術新潮」に特集された記事の頁から、展示室内部の様子です。
内部は作品保護のため撮影禁止となっていますので、貴重な写真です。
本内の頁のコピーですので、歪みがありますことはご容赦ください。
(黒っぽい縦線は本の中央綴じ部分の影です。)
出典:芸術新潮 1997年7月号 頁12,13より
展示室は広くはありませんが、
粛々とした雰囲気です。
上の写真の左上に小さく記載されている文字の拡大写真です。
画学生たちの一途な執念がこだまする「無言館」展示室
十字形のほの暗いフロアには、中央部の4つの大窓から柔らかな光が射し、
スポットライトが壁面の作品を浮かび上がらせる 撮影ー筒口直弘{本誌}
※ 書籍類は増える一方のため、定期的にある程度まとめて処分しています。
「芸術新潮」も古いところから処分されている雑誌の一種ですが、
20年も前のこの号(1997年7月号)が残ったのは、
興味深く感じた「無言館」特集があったからに他なりません。
20年も経ってから、やっと現地訪問の願いが叶った私は
出かける前も、帰ってからも、この号を読み返して感慨を深めています。
開館当初の当事者の方々の旬の声の記録が、
この本の中に保存されています。
しかしま、忘れられていたも同様だった20年前のこの号が、
今頃になって経年の湿気のにおいと共に、心と目に蘇るとは・・・・・・、
いつかはの思いで、保管しておいたことは、ささやかな幸いでした。
展示室では、皆、口をつぐんで、静かに資料を読み、遺作を見入ります。
まさに”無言”館です。
自動的に、こうなるようですね。
↓
「口をつぐめ、眸(め)をあけよ、見えぬものを見、きこえぬ声を聞くために」
~ 無言館・信濃デッサン館、栞(パンフレット)より ~
追記:
この旅行は2017年の夏でしたが、
翌年の3月に「信濃デッサン館」と「槐多庵」が経営上の理由で閉鎖となりました。
ぎりぎりセーフで4館全部を拝観することができましたが、4館の内の2館もの閉鎖は実に残念です。
★「信濃デッサン館」と「槐多庵」は、立原道造氏や村山槐多氏他、夭折の画家たちの絵や詩等が展示されていて、共に情感のある魅力的な小美術館でした。
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