21 Feb 2017
この記事は前記事の続きになります。
吉田博氏の木版画は、
浮世絵として日本で発達した木版画技術を、
独自の視点で洋画風に、またより味わい深い表現へと発展させたもののようです。
(以下の画像は配布パンフレットより)

「穂高山 大正15年 1926年」
水の作家とも評されているそうで、水が生きています。
大気が澄みきっているのも伝わります。
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展覧会の帰りに、図録の代わりに、
(図録は特に制作されていませんでしたので。)
現在巡回中の生誕140年展の記念で出版されていた作品集を買ってきました。
(下にご紹介します。)
あいにく、この作品集では、万単位の高価版ではない書籍向けの印刷の限界なのか、
80回90数回と擦り重ねらた木版画の色彩の深さや
陰影の微妙さなどは見られません。し、
濃淡も平面的になり、木版画独特の味わいも薄らいでしまっています。
が、水彩や油絵も含めて初期の頃からの絵をトータル的に見渡せるという点で、
吉田氏の絵をあまり知らなかった私としては、買って良かったです。
そしてこの本で見知ることとなった初期の水彩がまた素晴らしく感じます。
明治の時代の日本の日常の風景がたぶん有りのまま、
しかし
何と抒情的な表現でしょうか。
絵という、まるで詩のようです。
水彩の風景画で、このように抒情的な表現が成されている絵を、
(私の少ない知識の範囲内のことになりますが)他に知りません。
本の中にその魅力を言い得ている文章がありました。
日本独特の湿った空気感が魅力
吉田博の2度にわたる渡米時に、新聞各紙で賞賛されたり、
美術愛好家たちの購買欲をそそったりした彼の作品の魅力は、
一言でいえば”大気の効果”である。
日本独特の湿った空気や霧にかすむ風物、自然の繊細さなどを詩情豊かに描き出した作品に人気が集中した。~ 吉田博作品集 37頁 ~
吉田博氏は親戚中から片道分だけの旅費を借り受け、
友人画家の中川八郎氏と共に、明治32年9月(氏23歳)にアメリカ丸に乗り込み、
自費によると渡米を決行しています。
当時の事情では、周りの人たちと水盃で別れを告げての、
まさに決死の覚悟の渡米だったようです。
が、そこで待っていたのは予想もしなかった思いがけない幸運で、
持参した水彩画がデトロイト美術館の館長の目に留まり、
展覧会が申し出され開催されると、絵は売れに売れる大成功となり、
それはその後の米国内での活動へと続き、また潤沢な活動資金を二人に
そして後続の仲間達にも、もたらすことになったようです。 参考:名古屋ボストン美術館内、吉田博経歴説明
明治開国後の当時の日本は、
浮世絵や工芸品などの美術品が続々と海外へ放出されている時代でもあり、
米国の美術愛好家の人たちにすれば、未知であってもおそらくは興味のある神秘の国・日本だったのではないだろうか・・・・・・・、
その国から唐突にやってきた若者が持参した絵に、
叙情豊かに描かれている日本の風景が、
どれほど魅力的で新鮮に映ったのか、想像に難くない気がします。
絵は抒情的でも、
氏の行動は旧藩士の出生らしい武士の魂とも言うようなものを感じますが・・・・?
心は若き獅子のようだった?かもしれませんね。
私もまた、この木版画展で惹かれたのは
そこに描かれている明治から昭和初期にかけての
有りのままのしかし抒情豊かに描かれた日本の風景でした。
(この点は、明治時代に日本からやってきた二人の若者の絵に魅了されたデトロイトの美術愛好家の人々と、もしや似た視点なのかもしれません。)
そこには、すでに失われた日本の文化、風物や暮らしの様子も見られ、
後年からみれば、美術作品であると同時に、写真の少ない時代の貴重な歴史資料にもなるのではないかしら?とも感じました。
個人的には両親の幼い頃、祖父母や曾祖父母たちが見たかもしれない風景があるようで、
自分はそこに居ないとしても、何かしら懐かしさも感じつつ観入りました。
展覧会では、海外での写生による作品も多数展示されていました。

「グランドキャニオン 大正14年 1925年」
絵が云々より、大正という時代に、あのグランドキャニオンで、
2週間近く泊り込んで写生をした日本人が居たということに、
先ずもって驚きました。(^-^;
★ 名古屋ボストン美術館での
吉田博・木版画展の会期は今月の26日までです。
お近くの方是非どうぞ・・・・。
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会場で図録代わりに私が購入した「作品集」は下記です。
印刷にあいにく多少の不満はあるものの、トータルでは気に入りました。^^
ご紹介まで・・・・。
~お読み下さって有難うございます。~
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